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広島原爆投下の日に

「Work of the photo journalist who realizes happines」さんから転載させていただきました。


広島原爆投下の日に

8月6日8時15分。慎んで英霊の皆様に、日本国を支えて下さった祖先の皆様へ光を手向けさせて頂きます。

今日は世界初の原爆投下から65周年を迎える日です。
65年とは実に歴史の重みを感じさせる歳月ではありませんか。

広島市内を歩けば過去のものとするには痛ましく、まだ時間が止まったようにさえ感じることでしょう。私が初めて広島原爆記念館を訪れたのは、小学校4年生の時でした。2泊3日の家族旅行でした。

両親は子供たちに原爆の実態を見せておくことが必要と考え、下の3人を連れて岡山方面の観光旅行から広島へと足を延ばしてくれました。

岡山から広島へ着く頃はなぜか居心地悪く、理由は分かりませんが父と母が車中で口喧嘩をしていたことが印象的でした。

楽しいはずの家族旅行がなぜか、広島へと近づく程に口が重くなり、私は幼少期からの敏感体質で、体がすっかり重たく何かを背負っているようにさえ感じていました。

そして、広島市内の原爆ドームへと向かう道すがら、当時、被爆した人皆川に飛び込んだという橋があって(橋の名前は今思い出せんが原爆ドームへ向かう途中に渡る橋です)その橋を渡る時に何とも重いものが肩にのしかかるようで、歩いても歩いても、この橋を渡り切ることができるのだろうかと、たかだが100メートル足らずの橋を背に思ったものでした。


自分でも不思議で、重いものから開放されたのか、宿泊する旅館についてからは、やたらとご飯が美味しかったことを憶えています。今までそんなにおかわりをしたことがなかったのですが、食べても食べてもお腹が満たされず、母親がびっくりするくらい三杯か四杯はおかわりしました。

きっと原爆ドームにいって、広島市街地を歩いて、成仏されていらっしゃらない英霊がたくさんおられたことと思います。その人たちの分も気づかず頂いてしまっていたのでしょうね。

原爆ドームの中では、最後の方にはたまらず「どうしてアメリカ人はこんなひどいことをしたの?」と母親に尋ねるふりをして、近くで真剣な眼差しで展示物を見ていたアメリカ人にわざと聞こえるように声を荒げたものでした。

月日が流れ、すっかり親米家となった私ですが、それでもあの時「子供の頃に原爆ドームを訪れたこと」、「広島の市街地を歩く」という経験をさせてもらったことは貴重な体験でした。原爆ドームを見たという事実は、私の人間形成に大きな影響を及ぼしたことでしょう。


そして今、世界は核兵器廃絶に向かって一歩を踏み出したかに見えるけれど、その前提にはもっと「Atomic Bom」=核兵器の恐さを世界中の人が知らなければならないと思うのです。

すべての日本国民が、そして世界中の人がこの悲惨な事実を受け止めなくては本当に広島の人たちが浮かばれることはないと…。

堪え難い苦しみと悲惨な光景が繰り広げられた場所、広島。人類が人類に対してこれほどの仕打ちが出来るだろうか、と「なぜ」「なぜ」と問い続けなくてはなならない場所。この事実こそが「ヒロシマ」の証であり、65年が経った今でも浮かばれえぬ人々の声なき声として私たちに語りかけてくるのです。ヒロシマは、人類にとって特別な場所です。

広島をまだ訪ねた事がない方がいたら、ぜひ、一度は訪ねてみて下さい。日本人として、その恩恵を受けた祖先として。私たちは過去を変えることはできませんが、その先祖の死を弔い、そして未来への祈りを捧げることは出来ると思うのです。

第二次世界大戦という時代を生きた日本人が、私たちの先祖がいたということを、私たちは決して忘れてはならないと思います。 二度とあってはならないこの日に。
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